東京高等裁判所 平成6年(行ケ)122号 判決 1997年1月16日
山口県徳山市御影町1番1号
原告
株式会社トクヤマ
同代表者代表取締役
辻薫
同訴訟代理人弁護士
品川澄雄
同訴訟代理人弁理士
大島正孝
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官
荒井寿光
同指定代理人
松本悟
同
花岡明子
同
高梨操
同
吉野日出夫
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
(1) 特許庁が昭和62年審判第11748号事件について平成6年3月31日にした審決を取り消す。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文同旨
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和57年9月17日、特許庁に対し、名称を「窒化アルミニウム粉末及びその製造方法」とする発明(以下「本願発明」という。)について特許出願(昭和57年特許願第160782号)をしたが、昭和62年6月9日、拒絶査定を受けたので、同年7月9日、審判を請求したところ、特許庁は、この請求を昭和62年審判第11748号事件として審理するとともに、平成2年11月8日、特許出願公告(平成2年特許出願公告第51841号)を行ったが、訴外住友化学工業株式会社外9名から特許異議の申立てがなされた。そのため、原告は、平成3年8月27日、特許庁に対し、手続補正(以下「本件補正」という。)をしたところ、特許庁は、平成6年3月31日、上記補正を却下する旨の決定(以下「本件却下決定」という。)とともに、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年4月27日、原告に対し送達された。
2 本願発明の特許請求の範囲
(1) 本件補正前
平均粒子径が0.5~2μmの粉末で、酸素含有量が0.4~1.3重量%で、且つ窒化アルミニウム組成をAlNとするとき含有する陽イオン不純物が0.3重量%以下である焼結用窒化アルミニウム粉末。
(2) 本件補正後
(a)平均粒子径が0.5~2μmの範囲にあり、
(b)酸素含有量が0.4~1.3重量%の範囲にあり、そして
(c)陽イオン不純物の含有量が0.2重量%以下であり且つ陽イオン不純物のうちFe、Ca、Si及びCの合計含有量が0.17重量%以下である、
ことを特徴とする焼結用窒化アルミニウム粉末。
3 審決の理由の要点
(1) 本件補正が却下されたため、本願発明の要旨は、出願公告に係る2(1)に記載されたとおりのものと認められる。
(2) これに対し、本件出願前、英国において頒布された刊行物である「SPECIAL CERAMICS6」(THE BRITISH CERAMIC RESEARCH ASSOCIATION 1975年発行、40頁、以下「引用例」という。)には、AlNの活性焼結のメカニズムについて記載があり、そこでの焼結実験に用いられたAlN粉末(AlN含量は99.7%以上)について、それが、ニューヨークのエー・ディー・マッケイ(A.D.Mackay)・コーポレーションによって製造されたものであり、純アルコール中での粉砕後に測定した酸素含有量が0.5%、BET法によって測定した比表面積が14m2/g、光学顕微鏡で測定した粒子サイズが約1μmであることが記載されている。
(3) そこで、本願発明と引用例記載の技術とを対比すると、次のとおりである。
ア 平均粒子径について
本願発明における平均粒子径は、発明の詳細な説明の項を参照すると、光透過式の粒度分布測定器による体積基準の中間粒子径であり、引用例における粒子サイズは光学顕微鏡により測定したものであるから、その測定方法に相違はあるものの、本願発明における平均粒子径は、0.5~2μmと広範囲のものであり、他方、引用例における粒子サイズは、約1μmであって、本願発明の粒径範囲の中間に当たるものである。
したがって、両者の平均粒子径が異なっているものということはできない。
イ 陽イオン不純物について
引用例記載のAlN粉末は、AlN含量が99.7%以上であるから、不純物含有量は0.3%未満となり、そのため、陽イオン不純物含有量も0.3%未満ということになる。
したがって、両者は、陽イオン不純物含有量においても一致する。
ウ 酸素含有量について
本願発明における酸素含有量は0.4~1.3%であり、引用例記載のAlN粉末の酸素含有量は0.5%であるから、両者は、酸素含有量においても一致する。
エ 焼結用窒化アルミニウム粉末であることについてこの点においても、両者は一致する。
(4) そうすると、本願発明は、引用例記載の技術と同一のものと認められるから、特許法29条1項3号の規定により特許を受けることができない。
4 本件却下決定の理由の要点
(1) 本件補正は、特許請求の範囲における陽イオン不純物の量を、「0.3重量%以下」から「0.2重量%以下であり且つ陽イオン不純物のうちFe、Ca、Si及びCの合計含有量が0.17重量%以下」と補正するとともに、それに応じて、発明の詳細な説明の項を補正するものである。
(2) しかしながら、出願公告された本願発明の明細書には、未反応カーボンが陽イオン不純物に含まれることについて何ら記載されておらず、また、そのことは自明でもない。
更に、上記明細書には、Fe、Ca、Si及びCの含有量について、遊離Alや、他のすべての種類の陽イオンの限定とは別に、それらのみを0.17重量%以下にすることについては何ら記載されておらず、そのことは自明でもない。
(3) そうしてみると、本件補正は、実質上、特許請求の範囲を変更するものであるから、特許法(平成5年法律第26号による改正前のもの。以下、本判決における同法について同じ)159条2項、64条2項、126条2項の規定に違反する。
したがって、本件補正は、同法159条1項、54条1項の規定により却下すべきものである。
5 審決を取り消すべき事由
本件補正は、実質上の変更を伴わない特許請求の範囲の減縮として適法になされたにもかかわらず、本件却下決定により誤って却下されたものである。したがって、本件却下決定は、判断を誤った違法なものであるが、審決は、上記の誤った却下決定に基づき、本願発明の要旨を誤って認定し、本願発明を引用例記載の技術と同一の発明であると誤認したものであるから、違法として取り消されるべきである。
(1) 本件補正前の特許請求の範囲における「陽イオン不純物」に、Cが含まれることについて
本件補正前の特許請求の範囲における「陽イオン不純物」にC(未反応カーボン)が含まれることは、本件補正前に出願公告された明細書(以下「本件補正前の明細書」という。)の記載から明瞭である。
ア すなわち、本願発明に係る焼結用窒化アルミニウム粉末の優れた特長の一つは、従来の窒化アルミニウム粉末からは決して得られることのなかった、高い透光性を有する焼結体を得ることができるということにある(本願発明の出願公告公報(以下「本願公報」という。)3欄15行ないし19行)。そして、この高い透光性を有する焼結体は、本願発明に係る窒化アルミニウム粉末の平均粒子径、酸素含有量及び陽イオン不純物を、同時に特定の範囲内のものとすることによって、初めて達成されるのである(同4欄3行ないし15行)。
したがって、本願発明に係る窒化アルミニウム粉末を特定する要素の一つである陽イオン不純物が、仮に未反応カーボンを対象外とするものであるとすると、上記窒化アルミニウム粉末は、未反応カーボンを、0.3重量%を越えて含有してもよいことになるが、そうすると、カーボンが黒色であるという性質から、高い透光性を有する焼結体は決して得られないことになり、本願発明の特徴は発揮されないことになる。そのため、本願発明に係る窒化アルミニウム粉末を得るためには、未反応カーボンを含む窒化アルミニウム粉末の混合物を、650度ないし750度の温度により焼成し、残存するカーボンを酸化除去することが好ましいのである(同5欄32行ないし35行)。
このように、本願発明に係る窒化アルミニウム粉末については、高い透光性の焼結体を生ぜしめるために、未反応カーボンの含有量について何らかの歯止めを有していなければならないことは、当然である。
イ 他方、本件補正前の明細書を検討するに、そこには、不純物について次のとおり記載されている。「本発明に於ける窒化アルミニウムはアルミニウムと窒素の1:1化合物であり、これ以外のものをすべて不純物として扱う。」(本願公報3欄26行ないし29行)
上記によると、本願発明においては、原則として、化合物AlN以外のものはすべて不純物とされている。したがって、本願発明において、未反応カーボンが不純物に該当することは明白である。
ウ そして、本件補正前の明細書においては、「窒化アルミニウム粉末の表面は空気中で不可避的に酸化されAl-N結合がAl-O結合に置き変っているが、この結合Alは陽イオン不純物とはみなさない。従って、Al-N、Al-Oの結合をしていない金属アルミニウムは陽イオン不純物である。」(本願公報3欄29行ないし34行)、「陰イオン(酸素)」(同4欄13行ないし14行)と記載されている。
上記からみるならば、本件補正前の明細書においては、Alについて、上記のような断り書きがない限り、Al-O結合をしているAlも陽イオン不純物になると考えていたものとしなければならない。それゆえに、上記明細書においては、上記記載に続けて、Al-N、Al-Oの結合していない金属アルミニウムは、陽イオン不純物であるとしているのである。
ところで、上記の「Al-N、Al-Oの結合をしていない金属アルミニウム」は、イオン状態にはない金属であるが、上記明細書においては、このような陽イオン状態ではない金属アルミニウムについても「陽イオン不純物」に属すると定義した。そして、その根拠は、「窒化アルミニウム粉末の表面は空気中で不可避的に酸化されAl-N結合がAl-O結合に置き変っている」ことから分かるように、Alは、陰イオンである酸素(O)に結合するから「陽イオン」であるということにあるのは明白である。したがって、本願発明における陽イオン不純物とは、陽イオンになりうる単体を包含する意味を有するものであることが分かる。
そうすると、炭素(カーボン、C)は、酸素と結合して、二酸化炭素(CO2)の如き安定した化合物を形成することが周知であるから、このような性質を有する未反応カーボンは、本願発明における陽イオン不純物に該当するといわなければならない。
エ 上記のとおり酸素と結合するものを陽イオン(不純物)とすることは、化学結合論の上からも妥当なものである。
(ア) 二つの原子間の結合を形成するために、二つの原子から供給される電子(共有電子対)を自らの原子に引きつける力の大きさは、一般的に容認された法則、すなわち電気陰性度の値によって定まっており、電気陰性度の値が大きい原子ほど電子を引きつける力が大きく(陰イオン性が強い)、逆に、電気陰性度の値が小さい原子ほどその力が小さい(陽イオン性が強い)。
したがって、ある化合物(A-B)がどのような結合状態にあるかは、A、B両原子の持つ電気陰性度によって定まることになる。この差が大きいほどイオン結合性が強くなり、差が小さいほど共有結合性が強くなるものであって、通常の化合物の結合状態においては、共有結合性とイオン結合性とが併存している(したがって、100%イオン結合性あるいは100%共有結合性である化合物は存在しえない。)。
(イ) このことは、電気陰性度が2.5の炭素と、電気陰性度が3.5の酸素との結合においても、当然に当てはまる。
したがって、炭素は、酸素と共有結合をするから、陽イオン不純物には該当しないとする被告の主張は妥当でない。
(ウ) 上記のとおり、電気陰性度の大きい元素ほど電子を引きつけて陰イオンになりやすいが、酸素は、3.5という非常に大きな電気陰性度を示し、酸素よりも電気陰性度の大きい元素はフッ素だけである。
本願発明に係る窒化アルミニウム粉末において、フッ素はほとんど存在する余地がないから、本願発明においては、酸素を、フッ素に次ぐ電気陰性度を示す陰イオンになりやすい元素の代表として捉え、これと結合しえて酸素よりも電気陰性度の低いFe、Ca、Si及びCを、陽イオン(不純物)としたものである。なお、Feの電気陰性度は1.8である。
(エ) 以上のように、本願発明において、酸素と結合するものを陽イオン(不純物)とすることは、化学結合論的にも妥当なものである。
また、陽イオンと対になるイオンが陰イオンであることは化学常識であるから、陽イオンになりうる単体とは、言い換えれば、酸素と結合しうる単体ということもできる。前記のとおり、カーボン単体(C)は、酸素と結合して、二酸化炭素(CO2)の如く安定した化合物を形成することは周知であるから、未反応カーボンが、本願発明にいう陽イオン不純物に該当することは明らかである。
(2) 本件補正前の特許請求の範囲における陽イオン不純物の含有量である「0.3重量%以下」を、「陽イオン不純物のうちFe、Ca、Si及びCの合計含有量が0.17重量%以下」と補正することについて
ア 本件補正前の明細書に記載された本願発明の実施例1には、本件補正において、Fe、Ca、Si、Cの含有量の上限値を0.17%に特定する根拠となった、Fe、Ca、Si、Cの合計含有量を0.17重量%とする窒化アルミニウム粉末が示されている。
イ また、本件補正前の明細書には、本願発明の実施例として4例が記載されているが、そこにおいては、陽イオン不純物としてFe、Ca、Si及びCしか記載されておらず、その他の陽イオン不純物は特に記載されていない。
以上からみるならば、本願発明の窒化アルミニウム粉末における陽イオン不純物の主なものは、Fe、Ca、Si及びCであることが明らかである。
ウ したがって、本件補正における上記部分も、本願発明の特許請求の範囲を単に減縮したにすぎないものというべきである。
(3) なお、被告は、アルミナ中のアルミニウムも陽イオン不純物であると主張するが、妥当ではない。
アルミナ(Al2O3)中のアルミニウム(Al)は、酸素(O)と結合しているから、Al-O結合を有している。
本願発明においては、空気中の酸素に置換され、粒子表面に存在するAl-O結合のAlを、陽イオン不純物とはみなさないことから、アルミナ中のアルミニウムについても、陽イオン不純物とみなしていないことは十分に推察される。
そして、本願発明に係る窒化アルミニウム粉末中に、不純物としてアルミナが存在するとすれば、それは、原料として使用するアルミナに由来することになるが、本願発明に係る窒化アルミニウム粉末は、未反応アルミナをほとんど含有していない。また、仮に、それが、未反応アルミナを僅かに含有しているとしても、その含有量は、粒子表面に、空気中の酸素に置換されて存在するAl-O結合の酸素、陽イオン不純物Fe、Ca、Siの存在形態と信じられる酸化物の酸素等と一緒になった全酸素量(0.4ないし1.3重量%)によって、結局は制限されていることになる。したがって、未反応アルミナ中のアルミニウムを、粒子表面に酸素に置換されて存在するAl-O結合中のAlと同様に、陽イオン不純物とみなさないことによって、何らの不都合も生じない。
第3 請求の原因に対する認否及び被告の反論
1 請求の原因1ないし4の各事実は認める。
同5は争う。
審決の認定、判断は正当であり、審決に原告主張の違法はない。
2 取消事由についての被告の反論
本件補正は、本願発明の特許請求の範囲を減縮することを目的とするものであるが、本件補正前の明細書の記載に基づく補正ではなく、実質上、特許請求の範囲を変更するものである。したがって、本件補正を却下した本件却下決定は正当なものであるから、本願発明の要旨を本件補正前の明細書の記載に基づいて認定した審決には違法はない。
(1) 本件補正前の特許請求の範囲における「陽イオン不純物」に、Cが含まれるとすることについて
未反応カーボンが、本願発明における「不純物」に該当することについては、争わない。
しかしながら、原告主張のように、未反応カーボンが、「陽イオン不純物」に該当するものとすることはできない。
すなわち、
ア(ア) 本件補正前の明細書においては、従来の窒化アルミニウム粉末の合成法から生じる不純物について、次の趣旨の記載がある(本願公報2欄1行ないし末行)。
<1> 金属アルミニウム粉末を窒素又はアンモニアガスで窒化する方法においては、原料である金属アルミニウム粉末及び生成したAlNを粉砕の際に混入する不純物と、未反応の金属アルミニウムが陽イオン不純物であること
<2> アルミナとカーボン粉末の混合物を窒素又はアンモニアガス中において焼成する方法においては、未反応アルミナと、粉砕時に混入する陽イオン不純物とが存在すること
<3> 金属アルミニウムを原料とするプラズマジェット法やアーク放電法によると、遊離アルミニウム不純物が混入すること
更に、本件補正前の明細書においては、上記に続けて、「従来はこれらの陽イオン不純物或いは酸素含有量の多い窒化アルミニウム粉末しか得られず…」(同3欄1行ないし3行)と記載され、また、「金属アルミニウムは陽イオン不純物である。」(同3欄33行ないし34行)と記載されている。
これらのことに、アルミナ(Al2O3)がイオン結合している化合物であることを考慮するならば、粉砕時に混入する不純物、アルミナ中のアルミニウム及び金属アルミニウムが、本願発明における陽イオン不純物に相当する。
(イ) また、本件補正前の明細書には、次のとおり記載されている。
「例えば、アルミナは純度99.9重量%以上のもので…カーボンは灰分0.2重量%以下の純度のもので、平均粒子径1μm以下のものが好ましく採用される。…さらにアルミナとカーボンの純度が上記範囲以外の場合にはこれらに含まれる陽イオン不純物が殆んどそのまま窒化アルミニウム粉末中の不純物として残存するため本発明の陽イオン不純物量の粉末を得ることができない。」(本願公報4欄22行ないし36行)
上記記載からすれば、本願発明においては、原料であるアルミナ中のアルミニウムと、カーボン中の不純物を、陽イオン不純物と認識しているが、カーボン自体を陽イオン不純物とは認識していない。
(ウ) 本件補正前の明細書における本願発明の実施例1には、陽イオンの分析はプラズマ発光分光装置(第二精工舎製ICP-AES)、炭素の分析は金属中炭素分析装置(堀場製作所製EMIA-3200)によったとの記載があることから、陽イオン不純物とカーボンとを異なる範疇のものと認識しているものと解される。
(エ) 上記明細書における実施例2には、陽イオン不純物としてFe、Ca、Siの総計を挙げており、カーボンを陽イオン不純物として認識していない。
(オ) 以上によれば、本件補正前の明細書においては、カーボンを、陽イオン不純物と認識していなかったことは明らかである。したがって、本件補正により、カーボンを陽イオン不純物の範疇に組み入れることは、陽イオン不純物の重量限定の意味をまったく別のものにすることであるから、本件補正は、実質上、特許請求の範囲を変更するものといわざるをえない。
イ 本件補正前の明細書においては、「Al-N、Al-O結合をしていない金属アルミニウムは陽イオン不純物である。」と記載されているが、化学結合には、イオン結合、共有結合、配位結合、金属結合があるところ、金属アルミニウムは、金属結合をしており、通常陽イオンとはいわないため、ここで特に定義をして、陽イオン不純物として取り扱うことにしたものであり、また、アルミニウムは、陽イオンになりやすい元素である。
他方、カーボンは、陽イオンになりにくく、共有結合をするので、カーボン(炭素)元素とアルミニウムを同次元で考えることはできない。
また、本件補正前の明細書においては、陽イオンになりやすいアルミニウムですら、陽イオン不純物に入ることを定義により明らかにしているのであるから、陽イオンになりにくいカーボンについて定義をしていないことは、カーボンが陽イオン不純物に入らないことを明瞭に示していることに他ならない。
更に、窒化アルミニウム粉末中に含有される酸素は、金属アルミニウムを粉砕する際の表面の酸化と、未反応のアルミナによってもたらされるものと解されるが、酸素は、いずれも、イオン結合をしている場合にだけ陰イオンといえるのであり、逆に、酸素と結合しているものがすべて陽イオンであるとは到底いうことができない。
カーボンは、酸素と共有結合をして二酸化炭素を形成するのであって、イオン結合をするわけではないから、この点からしても、カーボンを陽イオンということはできない。
ウ 原告は、酸素と結合するものを陽イオン(不純物)とすることが化学結合論の上からも妥当であると主張するが、その主張は、以下のとおり失当である。
(ア) ある化合物A-Bがどのような結合状態であるかは、A、B両原子の持つ電気陰性度の差により定まり、この差が大きいほどイオン結合性が強くなり、差が小さいほど共有結合性が強くなる。通常の化合物は、部分的にイオン性を示すものであるが、イオン性の大きい場合、すなわち電気陰性度の差の大きい場合をイオン結合といい、小さい場合を共有結合(電気陰性度の小さいもの同士で差が小さいときは金属結合となり、電気陰性度の大きいもの同士で差が小さいときは共有結合となる。)というのである。
したがって、電気陰性度が2.5の炭素と、電気陰性度が3.5の酸素との結合においては、その差が1であり、イオン性の度合いを示す表によれば、イオン性が22%とされているから、炭素と酸素は、共有結合をしているものというべきであり、炭素は、イオン性が小さいにもかかわらず、酸素と結合するから陽イオンであるとすることは、化学常識上妥当ではない。
(イ) 原告は、本願発明においては、電気陰性度がフッ素に次いで大きい酸素を、陰イオンになりやすい元素の代表としてとらえ、これと結合しえて、酸素よりも電気陰性度の低いFe、Ca、Si及びCを陽イオン不純物とした旨を主張するが、本件補正前の明細書には、その旨の定義はなされていないし、化学常識上からも妥当ではない。
前記(ア)のとおり、化合物A-Bにおいて、電気陰性度の差が大きい場合、電気陰性度の低い方を陽イオンということはできるが、その差が小さい場合、すなわち、電気陰性度が3.5の酸素と、その差が小さい窒素(3.0)、硫黄(2.5)、塩素(3.0)等とが結合する場合には、共有結合をするものであるから、その場合、電気陰性度が酸素よりも小さいというだけで、酸素と結合するものをすべて陽イオンとすることは妥当でないし、本件補正前の明細書の記載からみても、酸素と結合するものを陽イオンとすることは、自明ではない。
(2) 本件補正前の特許請求の範囲における陽イオン不純物の含有量である「0.3重量%以下」を、「陽イオン不純物のうちFe、Ca、Si及びCの合計含有量が0.17重量%以下」と補正することについて
ア 本件補正前の明細書における発明の詳細な説明の項には、陽イオン不純物が0.3重量%以下、好ましくは0.2重量%以下である旨の記載があるが、前記(1)のとおり、本願発明における「陽イオン不純物」とは、粉砕時に混入されるもの、原料カーボン、アルミナ中の灰分、原料である遊離アルミニウム、原料アルミナ中のアルミニウムであって、すべて均等に扱われている。
イ また、上記明細書における本願発明の実施例をみても、カーボンが陽イオン不純物に含まれるとはいえないことも、前記(1)のとおりである。
ウ 更に、本願発明の実施例1ないし4をみると、酸素含量、平均粒子径が特許請求の範囲内の数値であり、陽イオン不純物であるFe、Ca、Siの合計量が0.060(実施例1)、0.075(実施例2)、0.047(実施例2)、0.033(実施例3)、0.029(実施例4)各重量%のとき、透明な焼結体が得られることが記載されており、また、実施例1に対する比較例2として、酸素含量、平均粒子径を特許請求の範囲内の数値とし、陽イオン不純物として、原料アルミナ、黒鉛(カーボン)中の灰分及び未反応アルミナ中のアルミニウムが示唆され、その量が不明な場合に、黒灰色不透明焼結体が得られたことが記載されているだけであって、Fe、Ca、Siの量を、他の陽イオン不純物とは別にした上、カーボンとともに0.17重量%以下とする技術的思想については、何ら記載がないし、自明でもない。
エ 以上のとおりであるから、本件補正における上記部分も、特許請求の範囲を実質的に変更するものというべきである。
(3) なお、アルミナ中のアルミニウムは、酸素とイオン結合をしているから、陽イオンである。
本件補正前の明細書においては、「本発明に於ける窒化アルミニウムはアルミニウムと窒素の1:1化合物であり、これ以外のものをすべて不純物として扱う。ただし窒化アルミニウム粉末の表面は空気中で不可避的に酸化されAl-N結合がAl-O結合に置き変っているが、この結合Alは陽イオン不純物とはみなさない。従って、Al-N、Al-Oの結合をしていない金属アルミニウムは陽イオン不純物である。」と記載されている(本願公報3欄26行ないし34行)。陽イオン不純物の例外は、あくまでも例外であるから、そこに記載されているものに限定して解すべきである。
窒化アルミニウムの表面のAl-N結合がAl-O結合に置き変わっているとしても、そのすべてがアルミナ(Al2O3)まで酸化されているかどうか不明であるし、前記記載においては、窒化アルミニウム表面のAl-N結合がAl-O結合に置き変わった場合における結合Alを、陽イオン不純物とみなさないだけであって、それに該当しない未反応アルミナ中のアルミニウムは、陽イオン不純物と解すべきである。
原告は、本願発明に係る窒化アルミニウム粉末が、未反応アルミナをほとんど含有しないと主張するが、本件補正前の明細書中においては、本願発明の実施例についてその旨の記載があるにすぎない。また、上記窒化アルミニウム粉末が未反応アルミナをほとんど含有しないとしても、そのことが、未反応アルミナ中のアルミニウムが陽イオン不純物ではないという根拠にはならない。
第4 証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録に記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
第1 請求の原因1ないし4の各事実(特許庁における手続の経緯、本願発明の特許請求の範囲、審決の理由の要点、本件却下決定の理由の要点)については当事者間に争いがない。
第2 そこで、原告主張の審決取消事由である本件却下決定の適否について検討する。
1 前記第1における当事者間に争いのない事実及び成立に争いのない甲第2号証(本願公報)及び第3号証(本件補正書)によると、本件補正は、本件補正前の明細書における特許請求の範囲に記載された事項(請求の原因2(1))のうち、「陽イオン不純物が0.3重量%以下」とある部分を、「陽イオン不純物の含有量が0.2重量%以下であり且つ陽イオン不純物のうちFe、Ca、Si及びCの合計含有量が0.17重量%以下」に改め、この訂正に伴い、「発明の詳細な説明」の項を一部改めるというものであったことが認められる。
2 そこで、まず、本件補正において、本願発明の特許請求の範囲に記載された「陽イオン不純物」にCが含まれるものと例示したことが、本件補正前の特許請求の範囲を実質上変更することになるか否かの点(請求の原因5「審決を取り消すべき事由」(1))について判断するに、
(1) 前出甲第2号証によると、本件補正前の明細書においては、本願発明に係る窒化アルミニウム粉末を好適に製造するための原料として、特定の純度と粒子径を持つアルミナとカーボン(C)が用いられ(4欄18行ないし42行)、両者が混合、焼成されることにより上記窒化アルミニウム粉末が得られるものであること(4欄18行ないし5欄31行)、また、本願発明の実施例1ないし4により得られた窒化アルミニウム粉末の成分を分析した値は、それぞれ別紙記載の表-1(a)欄、表-2No1、No2の「AlN粉末」欄、表-3(a)、(b)欄のとおりであったこと(なお、表-1(b)欄、表-2No3ないしNo7は比較例である。6欄8行ないし10欄末尾)がそれぞれ記載されていることが認められる。
(2) また、本件補正前の明細書において、原料の未反応カーボン(C)が、窒化アルミニウム粉末において残存した場合、それが本願発明における「不純物」に該当するものとされていることについては、当事者間に争いがない。
(3) そうすると、本件補正のうち、「陽イオン不純物」中にCが含まれるとした部分の補正の適否、すなわち、その補正が、本件補正前の特許請求の範囲を実質上変更することになるか否かは、アルミナとカーボン(C)から得られる窒化アルミニウム粉末に含まれるC(未反応カーボン)が、「陽イオン」不純物であるか否かにかかわるものというべきである。
(4) そこで、以下、その点について検討するに、
ア 原告は、本願発明に係る窒化アルミニウム粉末が、それを焼結することにより、高い透光性を有する焼結体を得るためのものである性質上、窒化アルミニウム粉末における黒色の未反応カーボンの含有量には歯止めを加えるべき必要性があるところ、本願発明における「陽イオン不純物」とは、Al(アルミニウム)のように、陰イオンと結合し陽イオンになりうる単体を包含するとの意味を有するものであり、また、Cは、陰イオンであるO(酸素)と結合してCO2等の化合物を形成するものであるから、このような性質を有するCは、本願発明において、合計含有量を0.3重量%以下とする「陽イオン不純物」に該当すると主張する。
イ しかしながら、前出甲第2号証によると、本件補正前の明細書においては、「陽イオン不純物」について、次のとおり記載されていることが認められる。
(ア) 「従来、窒化アルミニウム粉末の合成法としては次の2つの代表的方法が知られている。即ち金属アルミニウム粉末を窒素又はアンモニアガスで窒化する方法と、アルミナとカーボンの粉末混合物を窒素又はアンモニアガス中で焼成する方法である。(略)後者の方法(略)に依っても数μm以下の細い粉末を得るためには多くの場合粉砕を必要とし、この際の陽イオン不純物および酸素の混入をさけることができなかった。(略)
従って従来はこれらの陽イオン不純物或いは酸素含有量の多い窒化アルミニウム粉末しか得られず、これらの窒化アルミニウムを用いて製造される窒化アルミニウム焼結体は前記したように十分な特性を発揮するに至っていなかった。」(本願公報2欄1行ないし3欄5行)
(イ) 「本発明に於ける窒化アルミニウムはアルミニウムと窒素の1:1化合物であり、これ以外のものをすべて不純物として扱う。ただし窒化アルミニウム粉末の表面は空気中で不可避的に酸化されAl-N結合がAl-O結合に置き変っているが、この結合Alは陽イオン不純物とはみなさない。従って、Al-N、Al-Oの結合をしていない金属アルミニウムは陽イオン不純物である。」(同3欄26行ないし34行)
(ウ) 「本発明に於ける上記窒化アルミニウム粉末は製法の如何にかかわらず前記すぐれた性状を発揮する。下記に一般に好適に採用される代表的な窒化アルミニウム粉末の製造法について説明する。
本発明に於いて原料となるアルミナおよびカーボンは特定の純度と粒子径をもつものが好適に使用される。(略)またカーボンは灰分0.2重量%以下の純度のもので、平均粒子径1μm以下のものが好ましく採用される。(略)さらにアルミナとカーボンの純度が上記範囲以外の場合にはこれらに含まれる陽イオン不純物が殆どそのまま窒化アルミニウム粉末中の不純物として残存するため本発明の陽イオン不純物量の粉末を得ることができない。」(同4欄16行ないし36行)
(エ) 「以下実施例によって本発明を具体的に例示する(略)。
実施例1
(略)ここで陽イオンの分析はプラズマ発光分光装置(第二精工舎製ICP-AES)、炭素の分析は金属中炭素分析装置(堀場製作所製EMIA-3200)、酸素の分析は金属中酸素分析装置(堀場製作所製EMGA-1300)、窒素の分析は一の瀬等(窯業協会誌83465(1975))の方法によった。」(同6欄8行ないし34行)
(オ) 実施例2の結果を示す別紙記載の表-2において、「AlN粉末」の「陽イオン不純物」に注を付し、「Fe、Ca、Siの統計」(「合計」の誤記と考えられる。)としている(同8欄19行ないし9欄12行及び10欄1行ないし12行)。
ウ 以上の各記載からみるならば、本件補正前の明細書においては、「陽イオン不純物」を、「炭素」ないし「カーボン」とは区別して記載しているものと認められ、また、上記各記載のほか別紙記載の表-1ないし3を合わせ考慮するならば、同明細書における「陽イオン不純物」とは、窒化アルミニウム粉末中に含まれる「不純物」のうち、Fe、Ca、Si及び遊離Alを指し、窒化アルミニウム粉末中に未反応として残された原料カーボンを、「陽イオン」不純物として扱っているものではないと解するのが相当である。
そして、本件補正前の明細書(甲第2号証)におけるその余の記載をみても、上記認定を左右するに足りる部分は存在しないところである。
本願発明においては、原告主張のように、高い透光性を有する焼結体を得るため窒化アルミニウム粉末中の黒色の未反応カーボンの含有量には歯止めを加える必要性があるからといって、未反応カーボンを「陽イオン」不純物とみなさなければならない必然性は存しないし、また、金属アルミニウムは通常陽イオン不純物とはいわないからこそ、本件補正前の明細書に前記(イ)の記載を設けて金属アルミニウムは陽イオンであると定義しているのであって、カーボンにはそのような記載は存しないのであるから、この記載を根拠にカーボンも「陽イオン」不純物であるとすることはできない。
エ 更に、原告は、電気陰性度の大きい元素である酸素と結合する元素を陽イオンとすることは、化学結合論の上からも妥当であるとし、本願発明においては、酸素と結合し得て、酸素よりも電気陰性度の低い炭素(C)を「陽イオン不純物」としたものであると主張する。
しかしながら、成立に争いのない甲第6号証の1ないし3、乙第1、第2号証の各1ないし3によると、ポーリングによる元素の電気陰性度の値は、炭素が2.5、酸素が3.5であり、その差は1.0であって、その間の一重結合におけるイオン性の量は22%にすぎないものと計算されること、したがって、化学上、炭素と酸素の結合からなる化合物は、「共有結合性」を示すものとして扱われ、炭素イオンと酸素イオンによる「イオン結合性」により結合しているものとはみなされていないことが認められる。
そうすると、原子の化学結合論を考慮しても、本願発明に係る窒化アルミニウム粉末に含まれるカーボン(C)が「陽イオン」不純物にあたるものと解することは妥当ではなく、上記化学結合論が、前記ウにおける本件補正前の明細書の解釈を左右するものとはいえず、Cが「陽イオン」不純物にあたることを自明とするものともいえない。
その他、本件において、本件補正前の明細書における記載にもかかわらず、Cが「陽イオン」不純物にあたることを自明と解すべき根拠も見当たらない。
オ 以上によれば、本願発明に係る窒化アルミニウム粉末に含有されるカーボン(C)が、本件補正前の明細書における「陽イオン不純物」に該当するものとは認められないというべきであるから、本件補正のうち、Cが「陽イオン不純物」に含まれるものと補正する部分は、実質上、本願発明の特許請求の範囲を変更するものというべきであり、その点において、本件補正は不適法なものといわざるをえない。
したがって、原告の前記主張は失当というべきである。
3 そうすると、その余の点を判断するまでもなく、本件補正は、特許法64条2項、126条2項により不適法なものというべきことになるから、これを却下した本件却下決定は正当であり、上記決定による補正却下に基づいて、本件補正前の特許請求の範囲の記載により本願発明の要旨を認定した審決には、発明の要旨の認定を誤った違法はないものというべきである。
第3 以上によれば、審決には原告主張の違法はないから、審決の取消しを求める原告の本訴請求は理由がないものとして、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 持本健司)
別紙
<省略>